夢の屋(北海道のネット古本屋=気まぐれメモ)

気ままで気まぐれなメモ帳です

記念碑「信濃路はるか 肢体不自由児学童疎開の地」、戦時中の肢体不自由児の疎開(上山田村(現千曲市)の上山田ホテル)

★戦時中、多くの肢体不自由児を守った決断 長野で「疎開」に感謝する記念碑***THE PAGE 2017.05.28 15:00
https://thepage.jp/detail/20170526-00000008-wordleaf
「太平洋戦争のさなか、疎開先探しに困った東京の養護学校を児童、職員ぐるみで受け入れたホテルが長野県にあります。」
「長野に何とか疎開を果たしたのは当時の東京市立光明(こうめい)学校。1932(昭和7)年に全国で初めて肢体不自由児のための寮舎、医療施設を設けた養護学校として東京・世田谷区松原に開校しました。空襲が次第に激しくなり、1944(昭和19)年には東京などの学童疎開が始まったため、光明学校も対策を急いでいました。」
「松本校長は疎開先になりそうな各地を当たりましたが、医務室、リハビリ室などの設備のほか、60人余の児童と職員を合わせ150人ほどの規模になる疎開を受け入れるところはなかなかありません。」
「しかし、疎開の受け入れによってホテルは営業中止になり、従業員の生活にも響くなど難問だらけ。それでも子どもたちのためにと従業員らが理解を示し、疎開が実現することになった――と太田氏は記しています。」
続きは上のページで
スポンサーサイト

◎葛飾北斎の西洋風肉筆画6枚の謎(署名や落款の無い経緯) (画像6枚)、松本清張の歴史小説のような

★北斎、検閲避け名入れず? 作者不明だった西洋風画の謎 シーボルト収集品目録と一致***西日本新聞2017年05月19日14時08分
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/329497/
「オランダのライデン国立民族学博物館に所蔵され、長く作者不明だった6枚の絵が江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849)による西洋風肉筆画だったことが、昨年判明した。」
これらの作品が作者不明だった最大の理由は、署名や落款(印鑑)がなかったことにある。1820~29年に出島商館員を務めたフィッセルが当時の日本の習わしやしきたりなどについて書いた著書「日本風俗備考」で、オランダ人は1人の「画匠(がしょう)」を通してでしか絵画を得られない不文律を批判的に記している。」
「一方で、何でも細かく記録したシーボルトの性格が、謎の解明に役立った。ドイツに保存されていた絵画コレクションの自筆目録の中に「88~93 江戸と江戸近郊の図6枚、幕府御用絵師北斎による西洋風に描かれた風景画」との記述が見つかり、作者不明となっていた絵画6枚の特徴と一致した。」

↑西日本新聞のネット記事では画像6枚が確認できます

《昨年の記事》
★作者不明とされてきた6枚 北斎の西洋風肉筆画 オランダの博物館で判明***西日本新聞2016年10月22日 17時32分
https://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/291661/

最近、昔(学生時代に)読んだ松本清張の短編作品をまた読んでいる。
内容はすっかり忘れていたけと゜、「或る「小倉日記伝」」などの歴史小説が面白く、
こんなにワクワクする小説だったのかと驚いた。
松本清張の歴史小説のような推理ドラマ、そんな「葛飾北斎の西洋風肉筆画」のエキス記事です。

FC2Ad